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こんにちは。こういっちです。今日は寒いですね。
昨日は、チョコレートが溶けるぐらい暖かかったですね。
バレンタインのチョコレートは貰いましたか?
バレンタインのお返しに愛媛の裸麦を使ったクッキーはどうですか?

エイブルクッキー
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2016.02.15 Mon l 未分類 l コメント (2) トラックバック (0) l top

コメント

No title
裸麦は寒さに弱いうえ湿気にも
弱いのですが、収穫が早いことから、
冬暖かく梅雨の早い西日本には
適した麦ということになります。

特に愛媛では裸麦の生産量が多く、
現在の面積は2 千ha 弱ですが、
約50 年ほど前の昭和37 年には
2 万4 千ha もあり、100 年前の
大正2 年には4 万4 千ha も作られています。
また、明治20 年の麦全体では5 万ha もあり、
うち裸麦が4 万2 千ha、大麦3 千ha、
小麦は5 千haと、裸麦が84%を占めていました。

「聞き書・愛媛の食事」によると
明治初期には、米2 に対して
裸麦8 の麦飯が普通であり、
おコメが良くとれる地域では
コメの割合が3~5 割と高くなったと
言います。

しかし、コメが無くなり裸麦の残りが
少なくなると、芋ツボに貯えた
甘藷(かんしょ)や切干し芋をくだいた「つめ」、
トウキビなどを代用にし、南予では
裸麦と甘藷、東中予では裸麦とコメ、
山間部は裸麦と唐黍(とうきび)が
主な食事とされていました。

裸麦は主食だったわけです。

しかし、「伊予の食い倒れ」という言葉が
あるように、季節の行事や集まりがあれば
コメや山菜、魚介類、餅などの料理が
振舞われたそうです。
そうした特別なハレの日は、年間に60 日以上
もあったといわれ、今の都会に比べれば案外、
健康的で豊かな食生活だったのかもしれません。

裸麦は大麦より精麦がしやすく、水に濡らして
やぐら(足踏み式の縦臼)で1 千回ほど搗くだけで
良かったのですが大麦は3 千回も搗く必要があり、
そのため大麦は六分搗きにとどめて、
醤油や味噌に使ったようです。
また、裸麦を食べるには、搗いたものを
前の晩に釜でひと煮立ちさせ、翌朝に米を加えて
一緒に炊きますが、大正時代になると精麦所で
簡単に処理が出来たため、米と一緒に炊けるように
なって、手間が省けたと言います。

裸麦のことを生産地に愛媛という土地柄から
調べていくと、随分と昔から愛媛にはなじみ深い
物だったことが判りました。


「伊予の食い倒れ」って言いますが、
わたしはそんなに食べれません。
食べろと言われても、麦、麦(むりむり)・・・
・・・
・・・
あぁ
2016.02.15 Mon l yoshinaka. URL l 編集
No title
こんにちは。
現在裸麦は愛媛県中予では、
松前町と東温市重信。
東予は、西条。
南予は、稲作が早期になったので作付は少ないです。
裸麦は今の季節、
麦踏と言って、麦の芽を踏みます。
踏むことで倒伏防止になります。

昔は、足で踏んでたみたいですが
今では、トラクターにローラーを付けて踏みます。
裸麦は、みそやしょうゆの原材料として使われていますが、
最近は、裸麦の焼酎なども出てきています。

伊予の食い倒れ、初めて聞きましたが、
調べてみると、
「阿波の着倒れ、伊予の食い倒れ」でありました。
今日も勉強になりました。
ありがとうございます。
2016.02.16 Tue l こういっち. URL l 編集

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